こんにちは。haruhioです。
突然ですが、本ブログ「社畜よ聞いてくれ!」を書き始めることにしました。
万年平社員の社畜視点と私の経験から役立つ情報を発信していきます。
- 元転職エージェント:業界の裏事情から後悔しない転職アドバイス。
- 現職のデパート勤務:女性多めの職場で輝く男の立ち回り、身だしなみ、仕事術。
- 転職経験:失敗、フリーターまで経験した私と同じ轍を踏ませないための失敗談と学び。
ブログを通じて役立つ情報をお届けできればと思います。
はずっと始めてみたかったのですが、なんとなく本腰を入れられずにいたところに、社畜ライフの転機になる出来事がありまして、やってみようかとなりました。
戦いとは常に二手三手先を読むものだと、あのシャア・アズナブルも後世に残していますように、社畜ライフも先・・・キャリア的なものを見越していかないと思わぬところで壁にぶち当たってしまうものですよね。
私は2024年現在、けっこうな壁が目の前に出てきていまして、さすがに読めない展開だったので苦労していることろです。
よければ最後まで読んでいっていただけると嬉しいです。
自己紹介
30代後半が見えてきたサラリーマン(男)です。
妻と娘、息子と戸建てに暮らし、30年のローンを返済するごく一般的なサラリーマンです。
仕事はそこそこ名の知られたデパートに勤務、主に宣伝部の仕事に長く携わってきており、現在は支店で営業部門に就いています。
大人数の前で堂々と振舞えるので度胸があり、人当たりが良く明るいなどそこそこ良い人物評をいただくのですが本音は真逆。
すぐ緊張するあがり症ですしプレッシャーにも強くなく、人に優しくするのも波風立てたくないからなんていう、ちょっと難儀なマインドをしてるなと自覚があります。
少年時代はコミックボンボンとコロコロコミックが愛読書。
ゲームや漫画、YouTube視聴と健康維持の筋トレが趣味です。
職歴:社畜人生概略
- 新卒入社:屋内レジャー・アミューズメント業界:
ほぼほぼ全国展開の業界では大手。イオンモールなどでよく見かけるタイプの、ファミリーでも楽しめるゲーセンのような業態。 - 3年目の転職:
物流業界。某大手自動車メーカーに関連する100%子会社で、工場や船などのを行きかう車両の運行を管理する仕事です。半年ほどでリタイアすることに。 - やぶれかぶれの3社目:
人材業界で転職エージェント。求職者の転職支援の他、企業を訪問し求人案件の獲得など、主に20代を中心に担当。1年もたず退職、営業職がトラウマと化す。 - ド底辺フリーター:
約1年間、アルバイトを掛け持ちで生活。クレジットカードのブラックリスト入り、銀行口座の凍結など経験。 - 復活のデパートマン:
契約社員で採用。当初は販売接客での採用予定でしたが何の因果か宣伝部の一端に。未経験ながら順調に仕事は進み、晴れて正社員へ。 - 絶望の異動:
デパート勤務10年目を間近にして、営業部へ突然の異動。過去、営業時代のトラウマがフラッシュバックし精神的に参る。日常的な倦怠と憂鬱、常に緊張を感じ頭痛や肩こりなどの疲労症状が次第に出始め、不眠が日常的になったころ医者に適応障害と診断される。 - 40代を前にこれからどうする:
営業部の外回りは外れ、営業サポートに回ることになるが肩身の狭さに嫌な汗をかく日々。異動願いは出しているものの、転職を視野にいれつつ、そろそろ迫る40代を前に人生を見直し中。
詳しくは以降の記事で書いています。
もし興味がありましたらご覧ください。
新卒社畜ライフ
大学の夏休み半ば頃でしたでしょうか、薄暗い部屋で昼まで寝ていたクソ大学生の私は携帯の着信で起きました。
なんだか予感がしていたのですが、採用通知の電話でした。
これで就活から解放される喜びで狂い悶えた記憶があります。
業種は室内レジャー・アミューズメント。
ファミリー向けに特化した業態で、親子で遊べる屋内施設やゲーセンの運営会社です。
ゲームも子供も好きなうえ、人前に立つのに抵抗がない私に「お前それ天職だろ」と就活に苦しむ友人が零したのをハッキリ覚えています。
実際合っていましたしね、楽しかったです。
仕事はまず店舗スタッフから始まり、徐々に販売計画に携わりつつ、店舗管理者へシフトしていき、3年目には新規店舗立ち上げ店舗の管理者に抜擢もされました。
新卒にチャンスをやろうという補正もあったのか、それなりに期待をかけてチャンスを用意してもらいました。
新規店舗立ち上げは肉体的にはキツかったですが、準備期間を経て開店にこぎつけ、営業開始後も売上好調と、まぁ出来すぎでしょうって感じで順調でした。
しかし私はこの時すでに、転職するって決めていたんですね。
よくある「3年経ったら転職」という風潮に流された典型的な頭の悪いヤツで、「転勤が多いなぁ」「もっとかっこいい仕事したい」「こんだけやった俺はできる」「彼女ほしい」とか、とにかく転職の理由を探し、こじつけて自分を納得させるようにしていたと思います。
昔の私、修正してやるとひっぱたいてやりたいですね。
転機の頻度は確かに多かったですが、行った先々の土地は楽しかったし、仕事も合っていたし、なんなら後から聞いた話では本社勤務の人事も予定されていたらしく、キャリアアップのチャンスだったそうです、後悔先に立たず。
こうして私は4年目が始まるころ、転職していったのでした。
地獄の転職社畜
2社目に選んだのは、某大手自動車メーカーの100%出資の子会社。
港湾⇄工場の、自動車部品の物流管理を扱う会社でした。
転職サイトで見つけて応募し、紹介予定派遣として内定が出ました。
紹介予定派遣とは、試用期間後に正社員雇用が決まっている派遣のことで、ここでは半年後に正社員となれる仕組みでした。
ここからが地獄の始まりでした。
まず、当初配属予定であった資材調達部門への配属が直前で変更となり、荷を運ぶトラックの運行を管理する部門へ配属されました。
運行管理者は前日の夜遅くまで、翌日のトラックのスケジュールを組み、翌日は早朝から無線を片手に指示を1日中出し続け、荷や道路状況のトラブルがあれば臨機応変に対応し・・・という、当初の話とはまったく異なる業務内容。
午前9時~午後5時という勤務時間はもちろんぶっちぎりで超過、スケジュールを組み終わるかトラックがすべて終わるまで帰ることができない日々が延々と繰り返されるのでした。
ドライバーさんたちへの指示やコンテナを積む順番にも気を遣いまくり、毎日グッタリ。
さらに、前の会社より福利厚生が何段も落ちていて、例えば家賃補助の有無で、収入は結局トントンとなってしまって、仕事がキツくなっただけという有様でした。
死ぬほど後悔しつつ、これは続けられないと思った私は3か月目から転職活動を再開したのでした。
安易に転職を繰り返した末路
地獄の2丁目は、人材派遣会社の営業でした。
入社の経緯は少し変則なのですが、人材派遣会社のエージェントに転職面談にいったところ、「ウチはどう?」となったのがキッカケでした。
正直焦っていたので即決で決めてしまったのですが、ここで私は営業職のトラウマを深々と刻まれることとなったのでした。
転職希望者に面接をし、その希望者の転職先を見つけるために企業を訪ねて案件を持ってくるのが主な仕事。
希望者との面談はかなり手応えがある業務でした。
同じ転職の悩みや失敗を共有しながら、次のキャリアを考えていくことは、私自身の経験を活かすことができて充実していました。
面談をした結果の、ヒアリング内容はよくできたものだと先輩にも好評。
問題は営業のほうでした。
内勤時はひたすらテレアポで、自社の人材紹介サービスについて説明し、アポイントを獲得することの繰り返し。
外回りはアポイント先をひたすら周り人材紹介サービスを売り込みました。
成果報酬といって、転職が決まらない限りは売上が発生しない仕組みでしたので、企業側からすると私からの連絡が来るので時間がとられるのがデメリットといえます。
メリットは採用まで費用が発生しないので、広告を出す手間暇、費用を省略することができます。
その分、採用にこぎつけたときはそこそこのまとまった金額を報酬としていただくわけですね。
その営業が、ぜんぜんまったく悲惨なくらいとれなかったのが私です。
これはかなり焦り、落ち込み、さらに上司からもまぁ詰められました。
上司に同行してもらった営業では散々ダメ出しされました。
セールストークの練習だと、終業後のオフィスの片隅でロープレの毎日…この時間は電話もならず静かなオフィスなのですが、そこに私のロープレと上司の詰めが木霊します。
部長と同行した日には、なんで(こいつこんなダメ)なんだろうと泣かれました。
そうまでしてもらっても約半年、数字が上がりませんでした。
ようやく成約に結びついたときも、安心も達成感も既に感じられず、ただただ疲労感だけがあったのを今でも覚えています。
本気でこの先、続けるかどうか考えたほうがいいよと部長と面談があったのが年末でしたでしょうか。
ただただ憂鬱に年を越したときの、もうどうもならないかもという絶望感。
翌年の2月、立て続けに2件の成約がとれたのですが、これがキッカケで辞めることになりました。
1件は、転職希望者が二日目から出社を拒否し、返金するかしないか大揉めに揉めたのでした。
もう1件は入社決定後に、なんと採用決定を取り消したいとの連絡。
転職希望者が他社の面接も進んでいたようなのですが、その他者が競合会社でそれが気に入らなかった云々(正直、茫然自失の状態だったのであまり覚えていません…)
上司と部長の力を借りて返金も取り消しもなかったのですが、完全に心が折れたのでした。
人生で初めて朝、起きられなくなったのもこの時でした。
そして私はひっそりと2社目を後にし、無職となったのです。
フリーター誕生、哀れド底辺ライフ
その後は派遣やバイトで食いつないでいく日々が、約1年ほど続きました。
私のさらに愚かなところは、失業保険や生活保護などセーフティネットを活用する知識がほとんどなかったこと。
おまけに奨学金の返済まであったのですが、それをいったん止めることもせず、ギリギリの生活を、ただただ必死に続けていたのです。
ちゃんと知識を持って、支援を受けたり猶予を得ることができればもっとラクだったことは明白です。
しかしどこか、ぬるま湯のような安心感もあったのは事実でした。
慣れない仕事に立て続けに失敗したここ1、2年と比べれば、何も考えずにただただ単純な仕事をこなすだけでいい。
その日はなんとか食べていけるし、憂鬱な休日もないのです。
前職でメンタルが落ち込みまくっていましたが、忙しさで逆にショック療法になったのかは定かでないですが元気も出てきました。
今思えばこの期間は充電期間だったのでしょう。
次第に気持ちを前向きにしていき、最後の転職活動に踏み切るまでの期間。
まぁ、貯金はゼロになるし、クレジットカードは焦げ付くし、車も原付も手放すし、銀行口座も凍結されるし、体重も10キロ近く落ちるし、円形脱毛症になるし、とてもとても高い勉強代になったのですが…
安心安定、いまの社畜ライフ
転職活動は思いのほかすんなり決まりました。
現在のデパートの職に応募したのですが、1社目で一発採用決定でした。
非常に運がよかったらしく、たまたま人員に空きができる予定の部署がありそこへ配属決定。
その部署は立ち上がったばかりで、社外に製作や作業を依頼していた諸々の作業を内製化するための部署でした。
デパートなのに接客することはなく、庶務的な作業と、店内のディスプレイなどの準備やAdobeのIllustratorを使ってホームページのサムネイルやPOPを作る仕事でした。
幸いなことにWordやExcelの基本的な使い方は心得ていたので苦も無く作業に慣れることができました。
また、仕事をしながらIllustratorの基本的な使い方もOJTで学習できたので仕事の幅も広がっていき、コツコツと続けていくことができたのでした。
採用時点では契約社員の扱いでしたが、一定の年数を努めると試験をパスしたうえで正社員登用の制度もあり、ここで人生立て直すぞ!と奮起して仕事に打ち込みました。
30歳も過ぎた頃、正社員への登用試験をパスし、晴れて10年ぶりに正社員に返り咲いたのでした。
正社員になって1年ほどで、販促の宣伝部の、ホームページ担当へ異動となりました。
運用が内製化になった矢先のためノウハウはほとんどなく、CMS上でとりあえず運用するのが精いっぱいでしたが、HTML/CSSを独学で学びつつ、Illustratorの操作経験を活かしてサムネイルや画像加工等を行いながら業務を遂行しました。
素人なりにSEOやWebマーケティングをかじっていき、自社HPのアクセス数を毎年伸ばしてくことに貢献できたなど、実績もそれなりに残していけました。
手探りでしたがとても楽しく、仕事は充実していたといえます。
転勤もほぼ可能性が低いため、安定・安心の社畜ライフを送ることができるようになっていったのでした。
このままスキルを磨いて、宣伝部門で昇進していこうと、キャリアも考えられるようになってきた、そんな日々は突然終わったのでした。
そんなことある?ぶち壊れた安心安定
この春、気付けば私は社用車に乗り、企業を訪問し、自社の商品・サービスを売って回る営業職になっておりました。
そう、異動です。
理由は明らかに、人手が足りない部門への補充要員でした。
しかもそれは住居的なものが起因しており、私のスキルやキャリアとはまったくかけ離れたものでした。
支店の営業部門のセールスマンが退職し、人手が不足していたこと。
たまたまその近くに私が住んでいたこと。
この二つだけです。
頭が真っ白になりました。
ちなみに入社時の面接で、営業職にはトラウマがあるのでそうした職務への異動は避けたい、もしあるならある程度前もって情報が欲しいということと、ハッキリ言って車の運転は得意ではないので、業務上で頻繁に運転することは自信がないことを伝えてありました。
にも拘わらず、ガッツリ営業と日に4時間以上の運転です。
日々溜まっていく疲労感と、思い出される営業時代のトラウマ…
もちろん今の環境の先輩たちは優しく、不満はないのですが、どうしてもフラッシュバックしてしまい気持ちが沈む日々です。
ダメ押しのように運転で神経をすり減らしいきます。
次第にありえないようなミスも増え、集中力も続かなければ物忘れも起き始めました。
医者に行こうと思ったキッカケは、眠れなくなったことでした。
寝つきが悪く、すぐに目が覚めてまた眠れなくなり、運転の注意も散漫になってきて、警察が見ていれば確実に止められるような行為を無意識にしてしまうことがでてきて、これはまずいと感じたからです。
診断は適応障害とされました。
今は営業部門のサポートとして、営業に出ず運転もしないように配慮してもらっていますが、はっきりいって苦痛でしかないです。
私に求められているのは、支店での営業外回りなのに、事務所で電話応対や書類の処理をする日々。
営業に回らないことにはこの先のキャリアも望み薄です。
先輩や部長はゆっくり慣れればいいよと言ってくれてはいますが、正直なところ落胆しているのは見て取れるので、とてもツラい日々です。
適応障害に起因する不眠や疲労感も、いまのところ回復に向かう兆しもなく、現在は休職すべきかの相談と、異動願いを上司へしているところです。
本当、社畜人生どこで転機があるか分かったものではないですね…
さあー今後どうしよう
今後ですが、異動の希望は出しつつ、最後の転職のつもりで活動始めようかなと思っています。
症状が良くならないのは本当にキツイので、休職も視野にいれていこうかというところ。
体制を立て直しつつ、ブログ書いたり動画作ってみたり、社畜だけじゃないライフを送れるようにシフトしていきます。
今この瞬間だけをみるとキツくて吐きそうなのですが、乗り越えてきたのだし、長い目で見たらそれはきっと笑い話の一つにもなるでしょう。
下を向きがちなところを踏ん張って、前を見るようにしていきます。
社畜に幸あれ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
またお会いしましょう。